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中島ゆたか 死因は大腸がん 夫や子供 経歴や学歴は

日本の映画・ドラマ界で長く活躍した女優、中島ゆたかさんが2025年11月27日、大腸がんのため73歳で亡くなりました。

大人の色香と芯の強さを併せ持つ演技で1970年代の東映作品を支え、多くの視聴者の記憶に残る存在となった中島さん。
本記事ではその人生、経歴、家族、大腸がんによる死去の背景まで詳しくまとめます。

目次

中島ゆたかさんの死因 大腸がんで73歳で旅立つ

中島ゆたかさんは2022年頃より大腸がんを患っていたとされ、手術を受けながら闘病を続けていました。

しかし病状は回復に至らず、2025年11月27日午後11時15分、神奈川県の自宅で息を引き取りました。
訃報が公表されたのは葬儀後の12月4日で、既に家族葬が執り行われています。

73歳という年齢は、まだまだ仕事ができる時期であり、映画やイベントでも元気な姿が見られていただけに、その知らせは多くのファンに衝撃を与えました。

最後の仕事は2025年7月6日。
新文芸坐で行われた「トラック野郎 御意見無用」上映イベントで舞台挨拶に登壇し、宇崎竜童さんとともに主題歌を披露しました。
このステージが観客の前で見せた最後の姿となりました。

学歴と生い立ち 茨城県水戸市育ち 名家の娘として

中島ゆたかさんは1952年10月5日に茨城県水戸市に生まれました。
実家は寿司屋で、地域でも知られた飲食店だったとされます。

中学校・高校は茨城キリスト教学園に通い、のちに芸能界に羽ばたくまで、比較的落ち着いた青春時代を過ごしました。

整った容姿と高い身長は当時から目立つ存在で、1971年に出場したミス・パシフィック日本代表選考会では見事日本代表に選出。
世界大会では堂々の第2位という成績を収めています。

この受賞がきっかけとなりファッションモデルとして活動をスタートし、芸能界への道が大きくひらかれていきました。

女優としての飛躍 東映の顔として黄金期を築く

1972年にドラマ「飛び出せ!青春」でカメオ出演したのち、東映にスカウトされ1973年に正式入社。
同年公開「夜の歌謡シリーズ 女のみち」で映画デビューを果たします。

美しさと存在感、演技力を兼ね備えた女優として瞬く間に注目を集め、

1973年 日本映画プロデューサー協会新人賞
1974年 エランドール賞新人賞

と受賞が続き、華々しいキャリアのスタートとなりました。

1974年以降は千葉真一さん主演作に多数出演し、アクション映画のヒロインとして確固たるポジションを確立。
特に1975年「トラック野郎 御意見無用」ではシリーズ初代マドンナを演じ、作品とともに名前が広く浸透します。

1970年代後半からはサスペンス・時代劇・2時間ドラマで悪女役も演じ、幅広い役柄をこなす“演技派女優”として活躍しました。

結婚と家族 夫の存在 長女が喪主を務めた

中島ゆたかさんは1981年に結婚し、1982年に長女を出産しています。

今回の訃報では喪主を長女の上野南実さんが務めたことが公表されており、夫の現在や詳細については明らかになっていません。

家族が公の場に多く姿を見せてこなかったことから、芸能活動とは一線を置き、支え合う静かな家庭生活を築いていたと考えられます。

晩年の活動 旅番組・講演・映画出演 変わらぬ存在感

晩年も多方面で活動を続け、旅番組への出演や講演会など、単なる俳優にとどまらない活動をしていました。

映画にも近年まで出演しており、

2021年「スーパー戦闘 純烈ジャー」
2022年「スーパー戦闘 純烈ジャー 追い焚き☆御免」

とスクリーンにも元気な姿を残しています。

がんと闘いながらも仕事を続けた姿に、多くの関係者やファンが深い敬意を寄せています。

代表作品一覧

激突!殺人拳(1974)
直撃!地獄拳(1974)
ルバング島の奇跡 陸軍中野学校(1974)
少林寺拳法(1975)
トラック野郎 御意見無用(1975)
殺人遊戯(1978)
蘇える金狼(1979)
薔薇の標的(1980)
極道の妻たちII(1987)
富江 re-birth(2001)
スーパー戦闘 純烈ジャー(2021)

まとめ

中島ゆたかさんは、華やかな美貌だけでなく、芯の強さと演技力で日本映画界を支えた名女優でした。

ミス・パシフィック世界大会第2位
東映スターのトップ女優
アクション映画の象徴的ヒロイン
2時間ドラマ界の存在感ある悪女役

2025年11月27日、大腸がんでこの世を去りましたが、作品とともにその存在は今も多くの人の記憶に刻まれています。

ご冥福を心よりお祈りいたします。

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