お笑いコンビ「たくろう」は、長い下積みと着実な実力で評価を高め、ついにM-1グランプリ2025でファイナリストとなった注目のコンビです。
関西のお笑いファンの間では以前から「実力派」として知られていましたが、全国的な知名度はまだ高いとは言えません。
この記事では、たくろうのコンビ名の由来、結成までの経緯、これまでの経歴、そして赤木裕さん・きむらバンドさんそれぞれの高校や大学などの学歴について、Wiki的に詳しくまとめていきます。
たくろうの魅力や、ここまでたどり着くまでの歩みをじっくり振り返っていきましょう。
たくろうとはどんなお笑いコンビ?
たくろうは、吉本興業大阪本社に所属するお笑いコンビです。
結成は2016年3月9日。
NSC大阪校の先輩後輩という関係性から生まれたコンビで、結成当初から「独特の間」と「優しいツッコミ」が特徴的な漫才スタイルで注目されてきました。
主な活動拠点は、よしもと漫才劇場。
若手芸人の登竜門とされる劇場で経験を積み、数々の賞レースやライブを通じて着実に実力を磨いてきたコンビです。
そして2025年、長年挑戦し続けてきたM-1グランプリで初の決勝進出。
結成から約9年という時間をかけて、ようやく全国区の舞台に立つことになりました。
たくろうのメンバー構成
赤木裕(あかぎ ゆう)
赤木裕さんは1991年10月24日生まれ。
滋賀県大津市出身で、コンビではボケ担当を務めています。
立ち位置は向かって左。
太い眉毛と、シャツの裾をズボンに入れる独特のファッションがトレードマークです。
NSC大阪校37期出身で、同期や後輩からも「発想が独特」「挙動不審なのに目が離せない」と評される存在でした。
漫才では基本的にボケ役ですが、ネタによってはツッコミに回ることもあり、柔軟な立ち回りができる点も強みです。
きむらバンド
きむらバンドさんは1990年1月28日生まれ。
本名は木村太一さん。
愛媛県鬼北町生まれで、松山市育ちです。
コンビではツッコミ担当で、立ち位置は向かって右。
茶髪パーマが特徴で、舞台上でも柔らかく包み込むようなツッコミを見せます。
NSC大阪校36期出身で、赤木さんより1年先輩にあたります。
芸名の「きむらバンド」は、高校時代にバンド活動をしていたことが由来です。
たくろうのコンビ名の由来
「たくろう」というコンビ名は、一見するとシンプルですが、2人の強い“好き”が詰まった名前です。
由来は、それぞれが最も尊敬し、影響を受けた人物から取られています。
きむらバンドさんは、木村拓哉さんの大ファン。
その名前から「たく」を拝借しました。
一方、赤木裕さんはプロ野球選手のイチローさんの大ファン。
そこから「ろう」を取っています。
この2つを組み合わせて誕生したのが「たくろう」です。
どちらも国民的スターであり、長く第一線で活躍し続けてきた人物。
「自分たちも長く愛される存在になりたい」という思いが、自然と込められているように感じられます。
たくろう結成までの経緯
2人が出会ったきっかけは、NSC大阪校での先輩後輩関係でした。
赤木さんはNSC在学中、いくつかのコンビを組んでは解散を経験しています。
卒業する頃には相方が芸人を辞め、ピン芸人として活動する状況になっていました。
一方のきむらさんは、NSC卒業後にアシスタントとして後輩の授業補助を担当。
その中で、「赤木ってやつがめちゃくちゃおもしろい」という評判を耳にします。
赤木さんがピンになったタイミングで、きむらさんが声をかけ、顔も知らないまま待ち合わせ。
少し遅れて現れた汗だくのおかっぱ頭の赤木さんを見て、きむらさんは「第一印象でこいつと組もう」と決めたといいます。
こうして、2016年3月9日に「たくろう」が結成されました。
たくろうの経歴と実績
結成からわずか5か月後の2016年8月、Kakeru翔GPで優勝。
早い段階から劇場関係者の評価は高く、実力派コンビとして頭角を現します。
2018年には「今宮子供えびすマンザイ新人コンクール」で新人漫才福笑大賞を受賞。
この受賞をきっかけに、「たくろうは来る」と噂されるようになりました。
M-1グランプリには2016年から毎年挑戦。
2017年には結成2年目で準々決勝進出。
2018年には初の準決勝進出を果たします。
その後は準々決勝や3回戦で足踏みが続きますが、2025年、7年ぶりに準決勝へ返り咲き。
その勢いのまま、ついに決勝進出を果たしました。
赤木さんは、NSC大阪校37期出身者として初のM-1決勝進出者でもあります。
赤木裕の高校や大学はどこ?
赤木裕さんは滋賀県大津市で育ちました。
小学校は野洲小学校から平野小学校へ転校。
その後、大津市立打出中学校へ進学しています。
中学・高校時代は野球一筋。
高校は私立の光泉高等学校に進学しました。
高校でも野球部に所属していましたが、3年生の頃にマネージャーへ転向。
この経験が、後に「反骨精神」を生むきっかけになったと語っています。
大学は京都産業大学。
在学中は草野球チームに所属しながら、大学3回生の時に地元の友人と漫才コンビを結成。
ライブハウスで、バンドのライブの合間に漫才を披露するという形で、お笑いの世界に足を踏み入れました。
きむらバンドの高校や大学はどこ?
きむらバンドさんは愛媛県鬼北町生まれ、松山市育ちです。
高校は愛媛県立松山中央高等学校。
進学校で、ヤンキー文化とは無縁の環境だったそうです。
高校時代はバンド活動に熱中。
「俺はみんなとは違う」という、少し尖った高校生だったと振り返っています。
大学は松山大学に進学しますが、中退しています。
大学では落語研究部に所属。
この落語研究部が、漫才やコントを本格的に始めるきっかけとなりました。
在学中には、地元のケーブルテレビにも出演し、愛媛県ではローカルタレント的な活動も経験しています。
たくろうの芸風とネタ作り
たくろうの漫才は、赤木さんの不思議な言動に、きむらさんが優しくツッコむスタイルが特徴です。
ツカミでは、
「メガネのパーマ、きむらバンドと」
「○○の○○、赤木です」
という自己紹介が定番。
観客を一気にたくろうの世界観へ引き込みます。
ネタ作りは赤木さんがベースを作り、2人で調整。
赤木さんのボケは、日常生活でふと浮かんだ考えや違和感がそのまま生かされています。
2022年のM-1では、ボケとツッコミを入れ替える漫才にも挑戦し、表現の幅広さを見せました。
まとめ
たくろうは、派手さはないものの、確かな実力と独自の世界観で評価を積み重ねてきたお笑いコンビです。
コンビ名には、それぞれの憧れが込められ、結成までの道のりも決して平坦ではありませんでした。
高校・大学時代の経験や挫折が、現在の漫才スタイルにつながっています。
M-1グランプリ2025決勝進出をきっかけに、今後はテレビやメディアで目にする機会も増えていくはずです。
これから「たくろう」がどこまで山を登り切るのか、注目していきたいですね。