2025年6月25日、森永製菓の元社長であり、故・安倍晋三元首相の妻・安倍昭恵さんの実父である松崎昭雄(まつざき・あきお)さんが老衰のため亡くなりました。
享年92歳。戦後日本の食品業界を支えてきた実業家として、また「グリコ・森永事件」対応で名を残した人物でもあります。
この記事では、松崎昭雄さんの死因や経歴、学歴、高校や大学、そして家族関係について詳しくご紹介します。
松崎昭雄さんが死去 死因は老衰
松崎昭雄さんは、2025年6月25日午前8時に老衰のため東京都内で亡くなりました。死因は老衰であり、長寿をまっとうされた形となります。
ご家族の意向により、葬儀・告別式は近親者のみで執り行われる予定です。喪主は長男である松崎勲(まつざき・いさお)さんが務めます。
松崎昭雄のプロフィールと経歴
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名前:松崎 昭雄(まつざき・あきお)
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生年月日:1933年1月2日
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没年月日:2025年6月25日(92歳没)
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出身地:東京都
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最終役職:森永製菓相談役
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家族構成:妻・恵美子、長女・昭恵、長男・勲
松崎昭雄さんは、日本を代表する老舗食品企業である森永製菓の経営に長く携わり、1983年から1997年まで社長職を務めました。
森永製菓での華麗なキャリア
松崎さんは1955年に森永製菓に入社して以降、数々の要職を歴任しました。
年 | ポジション |
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1955年 | 森永製菓 入社(立教大学卒業後) |
1974年 | 森永ゼネラルミルズ社長 |
1977年 | 森永製菓 取締役 |
1980年 | 森永製菓 常務取締役 |
1983年 | 森永製菓 社長に就任 |
1988年 | レストラン森永社長を兼任 |
1995年 | 立教大学校友会会長 |
1997年 | 森永製菓会長(後に取締役退任) |
1984年には社会を揺るがせたグリコ・森永脅迫事件に直面し、冷静かつ慎重な対応で企業としての危機を乗り越えました。
松崎昭雄の学歴 高校や大学はどこ?
松崎昭雄さんの学歴について見ていきましょう。
出身大学:立教大学経済学部
1955年、松崎さんは立教大学経済学部を卒業しています。父・松崎一雄さんも同じく立教大学商学部出身であり、親子二代にわたり立教大学のOBということになります。
立教大学は、日本のミッション系大学の一つで、特に経済学部は伝統ある学部です。後年、松崎さんは**立教大学校友会会長(1995年)**も務め、大学との結びつきも非常に強かった人物でした。
高校については不明
残念ながら、松崎昭雄さんの出身高校についての詳細な記録は公表されていません。ただし、東京都出身であり、立教大学に進学していることから、立教池袋高等学校(旧立教高等学校)など立教系の一貫校の可能性も考えられます。
創業家の血を受け継ぐ経営者として
松崎昭雄さんは、ただのサラリーマン社長ではなく、森永製菓創業家の血を引く人物でもあります。
祖父:松崎半三郎(森永製菓2代目社長)
父:松崎一雄(森永製菓相談役)
妻:恵美子(森永太平の次女)
義兄:森永剛太(森永製菓3代目社長)
つまり、松崎さんは森永家の中核的存在であり、経営陣の信頼も厚かった人物でした。1997年には、義兄である森永剛太氏に社長職を譲り、円満に世代交代を果たしています。
松崎昭雄と安倍昭恵の関係
松崎昭雄さんの長女は、皆さんご存じの安倍昭恵(旧姓:松崎昭恵)さんです。元内閣総理大臣・安倍晋三氏の妻として長く国政の舞台を支えました。
安倍夫妻に子どもはいませんでしたが、松崎さんにとって昭恵さんはかけがえのない長女であり、孫のいないなかでも家族愛にあふれた関係だったと報道されています。
グリコ・森永事件と松崎昭雄
1984年に発生したグリコ・森永事件は、食品業界における大事件でした。「かい人21面相」を名乗る犯人が複数の菓子メーカーに脅迫状を送り、製品の安全性に対する信頼が大きく揺らぎました。
当時、松崎昭雄さんは森永製菓の社長として、以下のような危機対応を実行しました。
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社内製品の全回収
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消費者への迅速な説明と謝罪
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被害を最小限に食い止めるための対策会議を連日開催
このように、松崎さんは実直で誠実な経営者として高く評価されました。
まとめ:松崎昭雄さんの死去を悼む
松崎昭雄さんは、実業家としての手腕に優れ、創業家の血筋として森永製菓を支え続けた人物です。また、グリコ・森永事件の際の対応など、非常時におけるリーダーシップも光るものがありました。
長女の安倍昭恵さんを通じて政界とも深くつながっていた松崎氏の存在は、日本社会における一つの象徴でもありました。
92歳での大往生は、まさに人生を駆け抜けた証。ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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